商店会の会員に喜んでもらえないかな、で原宿ウェブスタート!

launch.mpeg原宿ウェブスタートとしては、商店会の会員に喜んでもらえないかな、ということと、もう一つは、その中でビジネスができないかって考えたわけです。平成元年にパソコンを購入して、広告を自分で製作しようなんて思ってマックを カシャカシャやってて、平成6年ぐらいにゴア副大統領が情報スーパーハイウェイなんて いう構想を打ち出して、小さな記事だったけど、ワールドワイドウェブなんて言葉があった。なんだろこれ、っていうわけで、すぐに勉強を始めた。そうこうしているうちにホームページなんていう言葉が飛び出してきて、そうか、町の商店街も会費ばかり取って、サービスが悪いという不満があるし?(笑)いち早く会員サービスのためにサイトを立ち上げようか、と思って作り始めた。技術的にも未熟だから、某総研のコンサルを受けながら数年やってきたわけです。

このウェブサイトを立ち上げるときに、まず潜在しているいろんな状況を顕在化させようというところがあったんですよ。 例えばファッションの町だって言ってるわりに雰囲気だけで、実際どこの誰がやっているかわかんない、人の顔が見えていないわけじゃないですか。ファッションとい う ジャンルでいろんな事を伝えていこうという切り口でファッションというアイ コンがまず一つ立つ。theme.mpeg

これについてはアバハウスというファッションメーカーが、パリコレに参加 するっていうんで、特派員一人送り込んで、ラフォーレを使ってパリコレ生中継なんてイベントをやったんですよ。現在のパリコレの会場からっていうライブ映像 をばーっとプロジェクターで出して、ラフォーレの6か7ぐらいある各階段のところに モニターを置いて一般公開した。音はとぎれとぎれでさんざんだったけど、だけどまあ、みんな面白いって言ってくれました。音楽分野では丸紅ファミールというプロバイダーさんの協力でコンテストをやりました。音楽のコンテストで、ネットで公募して、デモテープを郵便で送ってもらって、それでベスト5をCDリリースまでしたんです。 それが1998年の5月かな。 1998年10月にはNECの協力でデジタルキャッシュの実験というのをやってみました。 ICの埋め込まれたカードを抽選でもらって町に繰り出して買物しよう、 っていう実験だった。

私がいろんなことが出来たのは、多くの会社や団体の方が、原宿でモデル実験を したいと言って下さったからなんですね。この3年っていうのは実験プロジェクトが多かったんです。

原宿の魅力。それは景色がいい、ということ。

多分この街は景色がいいんでしょうね。ちょっと調べたことがあるんですが、戦争が終わった昭和20年直後に今のNHKがあるところにワシントンハイツという米軍のキャンプができたんですよ。一方では明治神宮で東郷神社っていう日本の伝統の象徴みたいのがどーんと鎮座しているわけで、 そこへいきなり西洋文化が流れ込んでくる。すると東洋と西洋文化のコラボレーションがあって、その文化がうまく溶け合い見事な景色ができるんだよね。

漢字、筆文字のなんとか堂なんて文字とその脇に英語の派手な看板ができて、そしてそこにおしゃれな人達がリサーチに来るわけだよね。で、そんな感じでおしゃれな人がどんどん増えてファッションのメッカに変わっていくわけですよね。そういうことで、やっぱり景色が他の街と違うんですよ。とてもよい景色なんでしょうね。

そしてもう一つ大事なのは、我々の先人達がこの街を風俗化させなかったってこと。 パチンコ屋も一軒もないし、ラブホもないし、劇場も映画館すらない。いつでも安全な街なんだよね。夜は静かなものでしょ。だから昼間の文化が醸成されていく。 それは、みなさんが故意に守ってきたものだし、それは守り続けたいですね。

バーチャルの原宿をインディーズの発表の場にしたい。

原宿はクリエイティブ性の高い街でいて欲しいし、俗化して欲しくないね。今の状態でいいから守っていきたいですね。変化するのはよい事だけども、 自分なりにすこし手をかけて微調節していきたい。ここ20、30年で突如ディズニーランドみたいな町になっちゃって、私たちはメンテナンスで大変ですよ。でもやり続ける。

これから街に入って来る新しい人と、古くから原宿に住んでる人のあいだには少し温度差がある。私はその人達のあいだに立って温度調節器をしようと思っているんです。 そういうのが私の役割かなって。 今日も夢をもった若者が原宿駅に降り立つ。26年前の私のようにね。何かお手伝いしたいですね。転ばないうちに教えてあげたい。 街の人みんなでそういう人達にちゃんと投資すべきだね、よく来たな。がんばれって 。 yuushi.mpeg

今、何のジャンルでもいいんだけど、ともかく発表の場を作りたいと思うわけです。 そこで音楽の演奏をしてもらっても構わないわけだし、俺こんな曲作った、でもいい し、私こんな絵が書けるんだけど、私こんなお洋服作ったんだけど、って。なんでもいい。そんな空間を作っていきたい、っていうのが夢ですね。 ウェブ上では自由にやれますよ。仮想原宿を作ってね。

デビューの機会を伺ってキラキラしている人達に場を提供したい。 バーチャルのフリーマーケットでもいいじゃん。デビューしたい人、来てごらん、って。 我々にぶつけてごらんって。原宿で仕事したい、原宿で住みたい、原宿でなになにしたい、っていう人ね。

交流の場もそうだし、コマースもそうだね。大企業のコマースより 「私、20歳、オリジナルの洋服作ってま〜す。」の方がいいじゃん。原宿のECは大手企業のECじゃなくてインディーズのECをめざそう。そういうことができればいいな。リアルでできないことをバーチャルでやって見る。

40過ぎてもうあまりモノにもカネにも興味がなくなっちゃって、もう高級外車に乗りたいとも思わないし、今関心があるのは自分が何をしたかってことですね。

(2000年4月22日 14:00〜15:00 ワタリウム美術館地下一階にて)

今井 勳さん

[現在]
メディアプロデューサー
ハイブリッド株式会社 代表取締役
原宿竹下通り 事務局長

[履歴]
足立区生まれの群馬県育ち
原宿暦 26年   
1951年 東京都足立区伊興町生まれ
1970年 群馬県立沼田高等学校卒後、NHK難視聴対策チーム(CATV事業)に参画
1975年 婦人服メーカー原宿店入社
1979年 婦人服メーカー退社
原宿竹下通りに婦人服店開店、創業
1983年 タレントショップ開店、ブームの草分けとなる。
1989年 広告代理業、イベント企画制作、コンピュータプログラム制作を目的にハイブリッド(株)を設立、この頃地元商店会活動に加わり、地域振興対策の研究、原宿地域のイベント制作運営、店舗のコンサルティング業務などを行なう。
1995年 米国シリコンバレーの発展とインターネット商用利用開始を契機に、新産業創出プロジェクト「原宿デジタルワールド」を原宿地区商店会連合会の公式事業として立ち上げる。 1996年5月[原宿クリーンキャンペーン’96]企画制作。 12月 原宿竹下通り商店会主催[96`X mas In takesita]企画制作。
1997年5月 環境美化イベントくりん97企画制作。 7月 マルチメディアキオスク「原宿放課後倶楽部」企画制作。8月[原宿クリーンキャンペーン’97 Vol-1]企画制作。 10月 原宿デジタル月間、NECデジタルワンダー夢ランド協力。 12月[原宿クリーンキャンペーン’97 Vol-2]企画制作。
1998年5月 環境美化イベントくりん98企画制作。 10月 @TAKESHITAフェスタ企画制作。
1999年5月 環境美化イベントくりん99企画制作。12月 イルミネーションスターin原宿企画制作。
2000年4月 防犯パトロールなどのボランティア活動が高じて、防犯対策事業に参入。

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