“世界のヒノ”の幼き日々、緑につつまれた原宿は、彼の夢の遊び場だった。3月9日、原宿外苑中学校卒業記念講演会で行われた、母校でのライブ。思い出深いこの地に、後輩達の門出を祝うトランペットの音色が、熱く、深く、そして優しく響いた。そこには若者の集うこの街へ、そして若者達へのエールが込められている。
生まれは高円寺だけど、3歳の時に千駄ヶ谷5丁目に移って鳩森小学校へ。中学校に入ってから代々木に引っ越しても、そのまま外苑中学校に通ってました。弟(元彦氏)も本当は学区外なんだけど、「兄貴と一緒の方がいい」なんて、外苑中に入っちゃったんだよね。
当時の原宿周辺は今とは全く違うイメージ。
もちろん今のようなにぎやかな竹下通りもなかったし、こんな派手やかな街ではなかった。ごく普通の街でしたよ。原宿、神宮、千駄ヶ谷、代々木・・・、ここらへんは僕の放課後の遊び場だった。東郷神社の池で泳いだりね。明治神宮の池のコイを釣って逃げたこともある(笑)。そのころのケガの痕は今も残ってますよ.。
その頃近くにあったワシントンハイツ(※1)で、親父と弟が「日野ブラザース」としてショーに出てた。親父がタップを踏んで、弟はドラムを叩く。僕もタップは出来たけど「見世物はヤダ」って出演はしなかった。だから弟のドラムを運んだりしてましたよ。
親父の影響はすごく強いね。小さい頃連れてってもらった映画も、アメリカのショーやエンターテイメント性の強いものばかり。そんなところから向こうの習慣なんかを見ていたから、自然と考え方やライフスタイルも備わっていったんだろうね。だって当時、テーブルとイスで暮らしてる家は珍しかったんじゃないかな。自分たちで作ったものだったけど。だから今でも正座は5分と続かないし、あぐらもダメ。こんなところも親父の影響かな(笑)。
※1:昭和20年、戦後の米軍住宅として建設。現在の代々木競技場、NHK、代々木公園の近辺。
今の原宿に「都会」っていうイメージを持つ人は多いと思う。でも、都会だからカッコいい、洗練されてる・・・、こんな考え方があるなら、ちょっと言いたいことがある。僕らはこんなに小さい地球に住んでいるのに、こんな考えを持つのはおかしいよね。たとえば故郷の言葉、地方性こそをプライドを持って誇るべきだと思う。
「僕は田舎育ちだから」って自分で卑下するように言う人もいる。地球以外の星に人間がいく時代、何を言ってるんだよ、と。人と違うということ、自分のアイデンティティにこそプライドをもって欲しい。ファッション、思想、言動・・・、自分のやりたいと思ったことは、やらなければならない。自分を通したいんだったら、一度は通してみなくちゃ。
「自分を通す」ためには「責任」をもって生きて欲しい。これは若い人たちにぜひ言いたい。最低限の責任っていうのは、他人に迷惑をかけないということ。例えば街を汚すなんてことはやめて欲しいね。
「自分」のない人ほど、カッコつけたがる。うわべじゃないんだ。中で光っている人がカッコいいんだよ。もちろん、これは若い人だけの問題じゃない。人間てお互いが鏡のような関係だと思う。大人にも「ありがとう」「すいません」て言えない人がたくさんいるんだから。
僕もトランペットをずいぶん練習してきたし、いまもしつづけてる。でもラッパをいつも持ってるわけじゃない。趣味のゴルフやスキーをしているときでも、そこではたくさんの人と出会うことで「勉強」して「練習」してるんだ。そういうことこそが勉強なんだから。だって僕らは「音楽」をやってるんじゃない。「人間」をやってるんだよ。
今日のライブで生徒の子と一緒にプレイをしたのもそう。一緒に演奏することで何かが伝わればいいと思ってる。だって僕たちも、何人もの偉大なミュージシャン達にそういう場をもらってきたから。アート・ブレイキー、サド・ジョーンズ・・・、そういう「愛」を何回受けてるか。その感動を、僕は後輩達にまた伝えていかなければならないんだ。若い人にチャンスを与えること。僕たちはそれを持ってるんだから。そして、その後はそれぞれの人の生き方になっていくんだよね。
「愛」って、言うのは簡単だし、使い古された言葉だよね。でも本当は「自分」を厳しくしっかり持って、人への尊敬やまごころ、相手を思いやる気持ちがなければ「愛」なんて簡単に言えない。サッチモ(※2)のトランペットを聞いてみてよ。パッとひとつの音を聞いただけで涙が出てくる。それは彼が包容力の固まりだからなんだよね。僕はいつも、「ああ、いいなあ、どうしたらそうなれるだろう」って考えてる。一生かけて、めざしていきたいと思ってます。(談)
※2:名 トランペッター、ルイ・アーム・ストロングの愛称。
 

 

日野皓正(ひの・てるまさ)


1942年10月25日東京生まれ。現在、ニューヨーク在住。9歳の頃からトランペットを学び始め、13歳の頃には米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。1967年、初のリーダー作『ALONE ALONE AND ALONE』を発表。翌年に独立。その後、菊池雅章との双頭コンビ等を経て、新しいジャズの流れを吸収し、マスコミに“ヒノテル”ブームと騒がれるほどの絶大な注目を集める。
1975年に渡米。ギル・エバンス、ジャッキー・マクリーン、ラリー・コリエル等、多数のミュージシャンと活動を重ねる。1989年には、アメリカ“ブルーノート・レーベル”と、日本人初の契約アーティストになる。
世界を舞台に、常に音楽界の中心での活動を続け、1997年6月にはニューヨーク録音のアルバム『OFF THE COAST』とリミックス版『OFF DA COAST』を同時発売。またパラリンピック開会式での演奏も記憶に新しい。5月にはヨーロッパツアー、6月にはニューヨークでの最新レコーディングが予定されている。

 
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